長谷健先生


 はせけん先生は、体つきは大きい方でしたが、師範学校(いまの教育大学)の学生時代に、「ろくまく炎」という病気にかかりました。それで、世の中に出て学校の先生としてやっていくためには、健康なからだでなければならないと決意して、健康に心がけ、とうふを食べるようになりました。
 先生の名は「つつみまさとし」でしたが、小説を書く勉強もするようになり、ペンネームをつけることになりました。「長谷」というのは、その頃有名だった長谷川如是閑(はせがわにょぜかん)の頭2文字をもらいました。その後、鎌倉にある「長谷の大仏」さんに体の大きいのが似ているので「長谷」になったとも云っていました。そして「健」は、健康を願っての「健」で、「長谷健」の名にしました。
 「長谷健」という名前になってから、めきめき健康な体になりました。学校の先生として一日中熱心につとめますと、たいへん疲れます。それでつかれたら、夜の9時には寝ました。その代わり朝は早く起きて、学校へ行く前に小説を書いて、それから出勤していました。10年間続けました。浅草小学校につとめた10年間は無遅刻無欠勤でした。
 はせけん先生は、浅草小学校の校友会誌に「旧職員」として「自慢ばなし」という文章を書いています。それによると浅草小学校を去った昭和18年までのまる10年間、はせけん先生は、一日も欠勤しないで、教職をつとめあげました。 もちろん遅刻も早退もしませんでした。このことを、はせけん先生は「私が浅草小学校に残してきたたった一つの自慢ばなしである」と書いています。一口に「10年間無欠勤」といいましても、大したことはなさそうに思われるかも知れませんが、実際にそれをやり通すという事は、容易なことではなかったようです。現に、10年間無欠勤で当時の浅草教育会から一緒に表彰を受けた方々について、はせけん先生は「4000人ばかりの教職員の中から、わずかに5人だったと記憶している 」と書いています。すぐれた健康管理があったから出来たことです。健康な体で生きて、いい仕事をしていきたい、と思うなら、はせけん先生の、この時の生き方を、よく学ぶ事が大切です。
 早寝・早起き。そして、朝型の仕事をつづけること。これが、はせけん先生のように、健康な体で、立派な仕事をのこす、大切な知恵です。これって、案外むずかしいですよ。ぜひがんばってやってみましょうね。

 ところで、長谷健顕彰会で、子供たちの直木賞である「長谷健賞」を出していました。一時期は応募者が3000人程になるほどでした。以下は珠玉の作品集です。現在も有志により、規模を小さくして長谷健賞をだしています。子供たちが作文を書くことで、「学校での様子、いじめ、心の葛藤」を知る頃ができて、「こどもの命を守ることができた」と親たちから感謝されました。当時、長谷健顕彰会の理事であった筆者は、長谷健先生の「暖かい心、静かに見守る、文章を書く楽しみ」を教えたいという気持ちでいっぱいです。以下は、長谷健賞珠玉の作品集です。
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